2021-01-03 縄文時代・古墳時代には、霞ヶ浦が海であった。 縄文時代は日本のほとんどが海になっており、日本武尊は蝦夷を駆逐するために、現代みたいに陸路が繋がっていなかったので、船に乗り鹿島神宮詣でをして、当時は海であった霞ヶ浦を航行して、八郷地区川又の息栖神社の浜辺にたどり着いて、土蜘蛛族を打ち破る度に、鹿島神社を建立した。 常陸風土記にも霞ヶ浦の浮島では、塩の製造をしていた民がいたと記されている。 Google Earth ※出典:縄文海進と貝塚分布、分布に特徴ある神社を考える。 ※出典:東木竜七「関東地方の貝塚の分布とそれから推定した当時の海岸線 ※出典:日本プログ村/荒川区史 ※出典:縄文海進-Wikipedia ※出典:関東平野の縄文の海・古鬼怒湾